難民事業本部
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 インドシナ難民の定住受入れを決定した日本政府は、1979(昭和54)年7月、内閣にインドシナ難民対策連絡調整会議事務局を置いて、定住促進のための諸施策を推進することとしました。同年11月、財団法人(現・公益財団法人)アジア福祉教育財団に事業を委託し、財団内に難民事業本部が設置されました。難民事業本部は、本部事務所に加え、日本へ定住を希望する人への日本語教育、健康管理、就職あっせんを目的として、同年12月、兵庫県姫路市に「姫路定住促進センター」を、翌1980(昭和55)年2月、神奈川県大和市に「大和定住促進センター」を開設しました。また、日本に上陸したボート・ピープルの一時庇護のため、1982(昭和57)年2月、長崎県大村市に「大村難民一時レセプションセンター」を、そしてボート・ピープルの流入増と滞留の長期化に対処するため、1983(昭和58)年4月、東京都品川区に「国際救援センター」を開設しました。

 1986(昭和61)年以降、主として出稼ぎ目的のボート・ピープルが増加するなどの状況の変化があったことを踏まえ、1989(平成元)年6月、国連主催のインドシナ難民国際会議において包括的行動計画(CPA:Comprehensive Plan of Action)が採択されました。同計画により、新たに流入するボート・ピープルに対しては難民審査(スクリーニング)が実施され、認められなかった人には本国帰還が奨励されました。以後ボート・ピープルは激減し、インドシナ三国の政情が安定したことなどから、難民事業本部は1995(平成7)年3月末に「大村センター」を、1996(平成8)年3月末に「姫路センター」を、さらに1998(平成10)年3月末に「大和センター」を閉所しました。他方、西日本地域に居住している多くのインドシナ難民定住者のアフターケアをはじめ、関係団体との連絡調整等を目的として、1996(平成8)年6月兵庫県神戸市に「関西支部」を開設しました。

 1996(平成8)年以降、合法出国計画(ODP:Orderly Departure Program)により、ベトナムからの呼び寄せ家族が中心に受け入れられ、難民事業本部は、「国際救援センター」で日本語教育、就職あっせん等を行いました。また、「難民条約」に基づいた「出入国管理及び難民認定法」により、法務大臣が認定した難民に対して、定住支援の対策がとられることとなり、2003(平成15)年度から、これら条約難民とその家族等に対してもインドシナ難民と同様、「国際救援センター」において、日本語教育や就職あっせん等を行うこととなりました。 なお、難民対策連絡調整会議は2003(平成15)年7月、インドシナ難民の受入れを2005(平成17)年度末をもって終了することを決定し、それに伴い2006(平成18)年3月末「国際救援センター」を閉所しました。

 一方、1995(平成7)年度より、難民認定申請者に対する援助事業や、セミナー・スタディツアー等広報・啓発事業も行っています。2003(平成15)年には、難民認定申請者に対する援助事業の一環として、生活困窮度が高く宿泊場所確保が困難な難民認定申請者のために、難民認定申請者緊急宿泊施設「ESFRA:Emergency Shelter For Refugee Applicants」を開設しました。

 2006(平成18)年4月からは、条約難民を対象に日本語教育、生活ガイダンス、職業相談・紹介等を行う施設として、「RHQ支援センター」を東京都内に開設し、定住支援事業を行っています。

 さらに、2010(平成22)年9月からは、政府がパイロットケースとして受入れを決定したタイのミャンマー難民キャンプからの第三国定住難民の受入れと定住のための支援事業を「RHQ支援センター」において実施しています。2010(平成22)年には5家族27名が第一陣として来日し、1週間程度のオリエンテーション実施後、日本語教育、生活ガイダンス、就職あっせん等を行いました。2011(平成23)年9月には4家族18名が第二陣として、2013(平成25)年9月には4家族18名が第四陣として、2014(平成26)年9月には5家族23名が第五陣として来日し、第一陣と同様にオリエンテーション及び定住支援プログラムを行いました。
(注:第三陣については受入れを予定していましたが、来日を辞退)

姫路定住促進センター
('79.12〜'96.3)
大和定住促進センター
('80.2〜'98.3)
大村難民一時レセプションセンター
('82.2〜'95.3)
国際救援センター
('83.4〜'06.3)

【インドシナ難民の発生と日本の対応】

 1975(昭和50)年ベトナム戦争終結後、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)では相次いで政変が発生し、新しい体制に移行しました。しかし、新しい体制の下で、迫害を受けるおそれや、国の将来に不安を抱く人々が続出し、小舟でベトナムを脱出した人々(ボート・ピープル)や、陸路でタイ領に逃れたラオスやカンボジアの人々(ランド・ピープル)が発生しました。これらの人々はインドシナ難民と呼ばれます。
 日本には、1975(昭和50)年5月、最初のボート・ピープルが上陸し、一時滞在を認められました。その後も、ボート・ピープルの到着が相次いだため、1978(昭和53)年、日本政府は閣議了解で、一時滞在中のベトナム難民の日本への定住を認め、翌1979(昭和54)年には、アジア地域の難民キャンプに一時滞在中のインドシナ難民や政変以前に日本に住んでいた元留学生などの定住を認めたほか、500人の定住枠を設定しました。
  政府は、定住枠を徐々に拡大していきましたが、1994(平成6)年12月にはそれまで10,000人であった枠をはずし、以後、枠を設けることなく受け入れることとしました。



あゆみ

1979年11月 政府の委託を受けアジア福祉教育財団に難民事業本部を発足、インドシナ難民定住促進事業開始
〃  12月 兵庫県姫路市に定住促進センターを開設
1980年 2月 神奈川県大和市に定住促進センターを開設
1982年 2月 長崎県大村市に難民一時レセプションセンターを開設し、一時庇護事業開始
1983年 4月 東京都品川区に国際救援センターを開設
1995年 3月 大村難民一時レセプションセンター閉所
1996年 3月 姫路定住促進センター閉所
〃  6月 兵庫県神戸市に関西支部を開設
1998年 3月 大和定住促進センター閉所
2003年 4月 条約難民の支援を開始
2006年 3月 国際救援センター閉所
2006年 5月 RHQ支援センター開所
 

国際救援・大和定住促進・姫路定住促進センターの入所の変遷

年度 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93
国際救援
センター
- - - - 745 444 341 196 179 125 1319 308 232 306 321
大和定住
促進センター
17 288 228 218 194 187 147 120 135 165 131 172 136 134 66
姫路定住
促進センター
56 244 217 216 226 237 95 159 123 185 169 182 155 148 139

 

年度 94 95 96 97 98 99 2000 2001 2002 2003 2004 2005 合計
国際救援
センター
207 105 102 163 172 124 140 141 162 164 139 107 6,242
大和定住
促進センター
79 96 93 35 98年3月閉所 2,641
姫路定住
促進センター
64 25 96年3月閉所 2,640

 

大村難民一時レセプションセンターの入所の変遷(1995年3月閉所)

年度 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 合計
大村難民一時
レセプションセンター
- - 61 989 764 545 475 255 149 258 3141 232 384 56 641 15 7,965

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