母国のために役立ちたい、同胞を支援したいなど、それぞれが持つ夢を実現するため、日本の大学で学ぶ難民の方がいます。
本欄では、努力の末に難民高等弁務官事務所(UNHCR)(http://www.unhcr.or.jp/)の難民高等教育プログラムの推薦を勝ち取り関西学院大学に入学したミャンマー難民の方にインタビュー。
進学を志す後輩にアドバイスなどをお聞きしました。
<日本語はどうやって勉強したのですか>
私は勉強していたミャンマーの大学が閉鎖されたのを機に 1996年に日本に入国し都内の料理店で約 10年間働いて来ました。その間も積極的に政治活動に参加し、ミャンマー民主化のための活動を続けてきました。
2007年、難民事業本部の定住支援プログラム説明会に参加し、RHQ支援センターに入所して日本語を勉強することを希望しましたが、難民認定を受ける前だったので入所は認められませんでした。
その際に難民事業本部の相談員から社会福祉法人さぽうと 21を紹介され、毎週土曜日に日本語教室で勉強するようになりました。
2008年 6月に難民認定を受け、同年 10月から 2009年 3月まで RHQ支援センターで日本語と日本の社会制度や生活習慣等を勉強することができました。
センター入所中に日本語能力検定試験 2級に合格し、センターでの勉強により読み書きの力がついたのを実感しました。
<大学入試にはどう臨みましたか>
同年、私は UNHCRの難民高等教育プログラムでの大学入学を決意し受験しました。
ミャンマーでの大学閉鎖から 14年間勉強の機会がなかったので不安もありましたが、勉強の機会が与えられることを夢のように感じていました。
しかし結果は不合格でした。本格的に勉強した期間があまりにも短かったからでしょう。
その後も私の勉学に対する熱意は増すばかりで、翌 2009年にも再度挑戦し関西学院大学商学部に合格することができました。
2010年 4月からいよいよ大学での勉強が始まりました。同級生は私より 10歳以上も年下で、当初は学生や教授達に私の難民としての立場や身分を話しても理解してくれない方が多く残念なこともありました。
しかし黒板の漢字が読めずに困っていた時に助けてくれた日本人もいました。
やる気を失った時には、自分に続く後輩の難民のことを考え頑張りました。
私が受験した頃は、このプログラムは関西学院大学と青山学院大学だけでしたが、その後明治大学も加わり、関西学院大学も入学枠を増やしたと聞いています。
難民たちが大学で勉強するチャンスが広がったことは大変嬉しいです。
<卒業後の進路を教えてください>
私は経営学を専攻していますが、それは母国に帰った時に民族の役に立つと考えたからです。
私の故郷のチン州は山が多く平野が少ない地域で地下資源も少ないため、チン民族の人々は野菜や果物を作って生活しています。
風土の良く似た日本の経営学は、チン州で起業し、生活を豊かにするのに役立つことでしょう。将来故郷に帰り、日本で得た知識や経験を民族の人々のために役立てたいと思っています。
今年の夏、ユニクロのインターシップに応募し、同じ難民の仲間とユニクロ本部及び店舗で実習する機会を得ました。
とても素晴らしい内容で是非多くの方にも勧めたいと思いますし、もっといろいろな企業がこのようなプログラムに参加され、難民たちのために学ぶ機会を作ってくださるようお願いしたいです。
私は夢のために、これからもあらゆる機会をとらえて勉強したいと考えています。
後輩の皆さんも自分達に与えられた機会を存分に活用してほしいと願っています。
RHQ支援センター退所(第6期生)