地域で活躍する難民定住者

「念願のベトナム料理店をオープン」南 雅和(ベトナム)

インドシナ難民

<日本に定住してからの夢>

東京の霞ヶ関(三田線では内幸町)、プレスセンター ビルそばの高層ビル「飯野ビル」B1のレストラン街に 本格ベトナム料理の店「Yellow Bamboo」が 11月 1日 にオープンしました。

「日本に本格ベトナム料理の店を出したい」という 夢を持ち始めて十数年の時を待ちました。

そして、よ うやくその夢が現実になりました。

<沖縄の漁船から救いの手>

日本に入国したのは 1983年。

フィリピン沖で漂流 中の私たちの乗ったボートが沖縄の漁船に救助され、 その漁船から日本政府へ通告によって日本への上陸 が叶ったのです。

その時私はまだ十代でしたが、その 時から日本への恩を一時たりとも忘れたことはあり ません。

上陸後、大村難民一時レセプションセンター で一時庇護を受けたものの日本への定住が決まった わけではありませんでした。

私たちの同乗したボート のベトナム人の多くは日本への定住を想定していま せんでした。

米国行きが多くの者の希望でした。

しか し私はこの時既に日本への定住をたった一人で決め ていました。

漂流中の私たちをすぐ救助してくれて、 日本政府の許可の元にこのセンターへの入所の手は ずが決まったということで、日本が救いの神だとい う想いでいっぱいでした。

この頃の日本に関する知 識は「トラトラトラ」という映画での非常に勇気のあ る『侍』の印象だけでした。

<第二の救いの手>

大村難民一時レセプションセンターの後、国際救援 センターで日本語を 6か月間学び、その後センターか らの紹介でプリント基板の会社に就職しました。

十代 という若い年齢のため仕事の吸収が早かったことも あり、どんな機械でもどんな部署でもひととおりの仕 事をあっという間に覚え、楽しくてしかたがありませ んでした。

いつしか私は会社になくてはならない存在 だと言われ、指導的な立場になっていました。

その年 齢にしては給料も大変高額でした。そうした充実して いた日々の中でアジア福祉教育財団が主催する『日本 定住難民とのつどい』があったので仲間との出会いを 楽しみに出席しました。

ところが大入り満員で席は無 く、しかたがなく一人階段に腰掛けて催し物に見入っ ていたところ、声をかけられましたのが聖心女子大 学のシスターでした。

私の経歴を聞いてある人が紹 介してくれたのです。

そのご縁で犬養道子氏から高 校進学を勧められ、犬養道子基金の奨学金で暁星国 際高校へ入学できたのです。

その後は麗澤大学への進学も叶いました。

難民と して日本にいる私たちだからこそすべきことは何か と考え、大学で「難民研究会」を立ち上げました。

ラ オス難民でもある竹原ウドム教授が顧問を引き受け てくださり、映画の上映会などを行い、学生をはじ めマスコミ関係の方まで『難民』についてずいぶん理 解してもらうことが出来ました。

<ベトナム駐在員>

大学を出たあと米国行きを考えながら国際救援セ ンターで通訳ボランティアをしていた折、偶然にサ ンテック(株式会社サンヨーの関連企業)の関係者が ベトナム駐在員の募集のためセンターを訪ねてきま した。

この時に私に白羽の矢が立ち私はその人と会った のです。

大変誠実な感じを受けたので私は駐在員と してその会社に就職することにしました。

1年間日本 の現場で電機設備などのノウハウを身に付けて、ベ トナム駐在に備え日本国籍を取得しベトナム勤務に なりました。

ベトナムでは駐在員としての仕事を全うしながら、 私は自分の将来のことを考えていました。

日本に戻っ たら会社員として一生を終わることも良い、しかし自 分にはベトナム人としての血が流れている、何かでき ないかとも考えていました。

そしていつしか、本当 に美味しいベトナム料理を日本人に紹介したい、と の思いが募り始めました。

「そうだ!日本のベトナム料理はどうしても日本人 の口に合わせている物だから本当のベトナム料理と は言えない。

本物のベトナム料理はこれだ!という 物で勝負したい」と。

<夢の実現>

駐在員として6年の任期を終え、私はその会社を 辞め、それからはベトナム料理店の開店のためにア ルバイトに心血を注ぎました。

料理店を立ち上げるまでの準備期間に、様々なア ルバイト先で接客、仕入れ、飲食店を開店させるノ ウハウ、在庫管理などを勉強しました。

そうして昨年、大森駅そばのビルに念願の Yellow Bambooを開店することができました。

その矢先、と ある大手ビル会社の役員会が私の店で開かれました。

出席者から霞ヶ関への進出を強く勧められ、私とし ては「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で移転を決意 しました。

新築のビルなので料理や内装など全てにお いてグレードアップも試み、ベトナムから一流ホテル の総料理長を招聘しました。

店内も店名にちなんで 竹材を用いた装飾を施し、ベトナムの風流な装いに しました。

日本の方に、この店で『本物ベトナム料理』 を堪能してほしいと願っています