地域で活躍する難民定住者

「息子たちとのマイホーム」ポンプラスート ナンチャンスック(ラオス)

インドシナ難民

<平和なひととき>

日本に定住し秦野市に住んで二十数年になります。

秦野の県営住宅に長く住んだ後 8年前一戸建て住宅を 購入しました。

小さな庭ですがラオス料理に欠かせ ない野菜を育てることが出来、ますますラオス料理 を作ることが楽しみです。

今年の夏もなすやいんげ ん、ハーブ、大きな冬瓜などがたくさんとれました。

一戸建ての我が家は、息子2人の協力を得て家族 3人で力を合わせて買うことができました。

庭で野 菜の世話をしている時、今までの自分の過ごした波 乱だった遠い過去がしみじみ思い出され、今このよ うに平和で穏やかな生活ができていることをありが たいことと身に沁みて感じています。

<生活を始めたころ>

ラオスの政変後、私たち家族の生活は一変、死に 物狂いでタイのノンカイキャンプに入り、日本に定 住することが決まった時安堵ばかりではなく、夫と 自分はまだ若く、1歳と 10か月の 2人の息子を抱えて の入国だったのでただ必死でした。

しかし日本での生活には大きな期待をもっていま した。

一生懸命仕事をして日本で子どもを育てよう と夢を持っていました。

姫路センターを退所した後 は名古屋で就職しました。

夫は仕事がありましたが、 私はまだ子どもが小さかったので正規の就職は難し く、なんとかできる仕事はないかと考え、夫の出勤 前なら大丈夫と思い朝の新聞配達をしました。

今思 えば自分でもよくできたと思いますが、当時は若さ があったのと何でもする覚悟がありました。

残念なことに一緒に入国した夫とは生活上の意見 が合わなくなり、他の問題もあって離婚しました。

その時夫は「お前に 2人の子どもを育てられるわけが ない」と言って出て行きました。

私はその言葉がずっ と忘れられませんでした。

その後私たちは引っ越し、 神奈川県秦野市で電気部品の会社に勤め、必死で働 きました。

いつの間にか二十数年一つの会社に勤め たのです。

平成 9年、勤続年数や勤務態度等が評価さ れることとなり、雇用開発協会より表彰状をもらう ように言われ、東京へ出てお祝いを受けたこともあ り大変驚きました。

<子育てとラオス料理>

会社の仕事に責任が出てきた時期、2人の息子は思 春期でした。

長男は特別反抗的なこともありません でしたが、次男が中学の時、喫煙したことが学校で 発覚、大変ショックでした。

息子が悪い道に走って しまったら別れた夫の言ったとおりになってしまう と必死な気持ちでした。

「煙草を吸うならもうお母さんと一緒に暮らせな い、お父さんのところへ行ってもらう」と宣言しま した。

そして学校の先生と常に連絡を取り合い、また、 家ではラオス料理を、どんなに忙しくても息子たち の美味しそうに食べる様子を見ながら作りました。

次男はそれ以来心配をかけるようなことはしなく なりました。

ある時お母さんへプレゼントだと言っ て「NO SMOKING」と書いたプレートを買って来て 飾り、これをプレゼントするのはこの約束を破らな いためだよ、と言ったことが今でもうれしくてたま りません。

こういうなんでもないようなことの積み 重ねがあって、今は本当に幸せだと思えるのです。

子育て期間で気を付けたことは、どんなに仕事が 忙しくても、時間がなくても、息子たちが喜んで食 べる『料理』に手は抜かないということでした。

おか げで息子たちはラオス料理が大好きで常備食の調理 辛味噌などは、大人になった今でも切れると作って と要求します。

家庭の味をしっかり持っている子は どんな問題があっても大丈夫と私なりに思いました。

同国人からもラオス料理作りにはいつも声をかけて もらっています。

秦野市の同国人たちとの交流や市 からの依頼で国際交流のためのイベントなどでずっ とラオス料理作りをしてきました。

子どもたちもそれぞれ成人になり、会社員として 関西や東京を走り回る生活になりました。

その一方 で、私は時間に余裕が出来ました。

<第 2の夢>

現在の仕事は勤務時間が朝 7時から夕方 4時です。

終了時間が早いため息子たちが帰るまでつい食べ過 ぎてしまったり、TVを観てのんびりしすぎて太って しまったので、夜 6時から 10時まで近所のお菓子製 造の会社でパートをすることにしました。

勤め始め たら体を動かすことで良く睡眠がとれるようになり 良いことづくめです。

定年まで元気で働けた ら息子たちにこの家を譲 り、その後はラオスで 軽食喫茶みたいなものを やってみたいという夢を 持っています。

1981年姫路定住促進センター退所 タイ難民キャンプを経て来日 会社員、ラオス人協会秦野支部相談役 ポンプラスート ナンチャンスック(ラオス) 筆者のナンチャン