地域で活躍する難民定住者

「昔とちがう私」チン カ ルン(ミャンマー)

条約難民

日本に来る以前、私は日本話にぜんぜん興味がありませんでした。

「日本語なんて勉強するもんか!世界共通語でもないし」と思っていました。

でも人生というのは先のことは分からないもので私の考えは今ではすっかり変わりました。

その後、色々なことがあって日本に来ることになりました。

日本に来てこれから日本で生活することを考えたら、自分の頭の中がグチャグチャになりました。

日本語を一つも知らない中で初めて覚えた言葉は「すみません」と「お願いします」です。それでアルバイトを始めたら「おはようございます』「いただきます」「ごちそうさまでした」「お疲れさまでした」という言葉が口をついて出てくるようになりました。

それぞれをただ暗記して半年ぐらいが過ぎました。

でも日本語がよく分からず、私は自分で自分のことが嫌いになりました。

周りの人たちが何を話しているのか、今なにが話題になっているのかを知りたい気持が強くなりました。

それで日本語を勉強するようになりました。

そして日本語に対する興味が高まって、また日本語だけではなく日本の文化、歴史、お祭り、食べ物、習慣、日本人の人間関係や考え方などをもっともっと知りたいと思うようになりました。

今年、RHQ支援センターで勉強する機会を得ました。

私は自分が知りたいことを勉強出来るので、毎日楽しみでした。

この4~9月の間に日本語がもっときれいになり、使い方が正しくなったので私の日本語は2倍上達したと思っています。

さらに日本語で暮らす方法でもたくさん身に付いたことがあります。

でも日本語は母語ではないのでRHQ支援センターを卒業しても、まだまだ勉強する必要があると思っています。

今の私は、昔の私と違っています。

RHQ支援センターで習った詩の中で一番好きなのは「とおいむかしから、ちきゅうの上のいろいろなところで、人は一日一日を生きてきた。きのうときょうはよく似ているけれど同じではない。そしてあすはいつでもあたらしい。」という詩です。

これは私にとってとても力になる詩です。

RHQ支援センターで勉強して、私の一日一日はいつもあたらしいと感じるようになってきました。

RHQ支援センターでは日本語だけではなく、私の知りたいことを勉強出来て、先生たちや皆に感謝しています。

RHQ支扱センターに入学した後、私は日本の文化、日本語、漢字などを好きになりました。

日本語は世界共通語ではないのですが、世界で一番丁寧な言葉だと思います。

私は日本語を生かして、たくさんのボランティア活動をしたいと思っています。

今、私は「生きているということ、日本で生きているということ」を意味がある生き方にしたいと思うようになりました。

よく似ていると思っていたきのうときょうの中で色々な新しいことに出会えて、自分の人生をあきらめずに沢山の意味をつかめるように頑張っていくつもりです。

RHQ支援センター退所(第9期生)