地域で活躍する難民定住者

「クメール語教室を主宰して」高橋 来(カンボジア)

インドシナ難民

<日本定住まで>

私は 1983年に日本に定住資格を得て入国しました。

その 1年前タイ国にカンボジアから単身逃げ込みカオ イダンキャンプに入りました。

現在多くの日本人がカンボジアに行き、ボランティ ア活動をして下さって、その貧しさに驚嘆してきま す。

しかし私がいた当時は貧しさというより国がメ チャメチャでした。

小学校が終わった頃、ポルポト政 権下に入り教育を受ける機会を奪われました。

だか ら中学校の勉強もまともに受けることができなかっ たのです。

日本に来て大和定住促進センターで 4か月間の日本 語学習の機会を与えていただきました。

私は勉強の 機会が又戻って来たことを心から嬉しく思いました。

4か月後にセンターを退所した後、埼玉県の会社に就 職することができました。

最初に関った会社は自動 車部品の会社です。

その後仲間が多くいる大和市に 来てロボット開発の会社に転職しました。

ここで私は機械の設計の指導を徹底的に仕込んで いただき、図面の読み方、作図もできるまでになり ました。

<日本語の学び方>

しかし、ここまで来るには日本語の勉強を欠かすこ とができませんでした。

4か月の学習を終えた後、日 本で生活するためには日本人並みの日本語力を獲得 しなければなりません。

私が考えたことは小学生が 国語を習う仕方で学ぶことです。

一人決意して、書 店であらゆる種類の国語の教科書を買い漁りました。

そして仕事から帰って 3時間ほど単独で日本語の勉強 に励みました。

辛いことはなく楽しんで勉強しまし た。

実はこのやり方でカンボジアでも学校へ行けな い時、英語を独学していたのです。

1年生の教科書は 1年かかるわけでなくどんどん 2年生、3年生と早く進 み教科書を買い続け学びました。

入国してほぼ 1年く らいで日本語に自信がつきました。

<社会性を身につけること>

日本語ができるようになると同時に同国人がさま ざまなことを頼みに来ました。

病院へ一緒に行って ほしい、会社でこんなことがあった、話について来 てほしいなど問題がたくさん寄せられました。

私は病院での話し合い、会社での話し合いの中で、 いかに私たちカンボジア人が日本での生活の規則を 知らず、社会性に欠けているということに思い当り ました。

はっきり言えば、みなこちら側に問題があっ たのです。

例えば会社がひどいことを言ってきた!と ショックを受けた同国人の付き添いをして行ってみ ると、会社からの提案はとても常識的なもので怒る 筋合いのものではなかったということばかりでした。

やはり異国で暮す私たちは、いつも自分たちはい じめを受けるのではないか、ごまかされるのではな いかという不安の中にいるのです。

しかしそういう ことを同国人から説明されると納得し、気持ちがお さまるということがあります。

病院への医療費の不払い、国民健康保険の未納な どの件もきちんと対応するようにどれほど説明して きたかわかりません。

そうしてだんだんとそういう ルールに対し、理解するようになると、そうしたルー ルがどれほど社会生活に大切かを同国人同士共に学 び合うことができました。

私は 1997年に母国へ帰国し、結婚をしました。

日 本は書類の国ですから、そうした書類をきちんと揃 えることで私の妻は申請後 1週間で在留資格認定証が 発給され、12月に申請したにも関らず同月内に妻は入 国することができました。

<クメール語教室>

結婚後、子どもが 2人になり生活が安定してきた時、 子どもたちが日本語だけの生活になることにふと疑 問を持ちました。

母国カンボジアに帰った時きちんと 母国語を話してほしいと思いました。

6年前、カンボ ジアの子どもたちに母語教室を開こうと、その当時ボ ランティアなどで出入りしていた、さがみはら国際 交流ラウンジに相談したところ、毎週土曜日にクメー ル語教室のための場を借りることができました。

当初同じような考えの親の協力で 10人ほどの子ど もが集まりました。

日本に来ているカンボジア人の 親はポルポトの時代を経ていることもあり教育の機 会がなく母語も読み書きできない人もいます。

しか しカンボジア人の子としてカンボジア語を話してほ しいと誰もが思っていました。

子どもの送り迎えは 親がするという約束で母語教室を始めました。

私は 小学生ぐらいになりある程度日本語が身についてか ら別の言語を習得することが良いと考えました。

現在はその子どもたちが中学生になり、学校の勉 強とのバランスを考え、今は同じラウンジで学習補 講の教室に通ってくれています。

私のクメール語教室は現在も続いていますが、いつ の間にか日本人向けになっています。

日本人で NPO 活動のためカンボジアに行く人、観光でカンボジア へ行く人たちのための期間集中講座を頼まれて主催 したことがあり、そのつながりで今も教室で勉強し たいという人たちに教えています。

また、私が必ず土曜日午前中ここにいるというこ とで、何か相談がある度に安心して同国人が来てく れるので、いろいろな意味で私は使命感のようなも のを感じながらこの時間を大切にしています。